BRUTUS 656号「みんなで農業。」の巻頭特集を読んで感じた寒々しさについてずっと考えている。

BRUTUSが農業特集をすると最初に聞いた時嫌な予感がした。でもそこはBRUTUS 。独自の切り口で面白いことしてくれるんだろうという期待をもったのも事実。

僕が感じたことを一言でいうとこうだ。

「佐藤可士和とBRUTUSが組んで農業特集をすれば『ダサイ農業』もこんなにスタイリッシュになるんですよ」

表紙では「佐藤可士和さんの最新作はコレです!!」と矢印が指す先には白菜がある。
「土の温かい感触は、僕のクリエイティブの源です。」
だそうだ。
そして野菜を作るうちに
「スーパーの野菜だと物足りなくなりました」
さらに
「呼び名も考えた方がいいかな。(中略)”アグリライフ”とか”ファーマー”とか、そういう言葉を積極的に使うのもひとつの方法かも」
本気なんだろうか?

自分の手は汚さず、借りてきた畑(本来的な意味でも、抽象的な意味でも)で人任せの管理で出来上がった「安心安全な作物」。

例えばこれが「囲碁」とか「乗馬」とかならこんなにムキにならないだろう(ファンの方がいらしたらすみません)。でもここで扱われているのは農業だ。そもそもBRUTUSから見た日本の農業の特集の巻頭特集がなぜこの佐藤氏なんだろう。他に取り上げるべき人材はいないのだろうか?例えば年に1回くらい見かけるワインの特集の表紙と巻頭特集に川島なおみや江川卓が登場するか?

ハッキリ言って、農業はナメられている。

BRUTUSは農業を、そして読者をナメている。

アグリライフ?ファーマー?

なにそれ?

そうやってまた流行を作り出し、消費していこうというのだろうか。

 

だったら、僕は降りる。

 

もう僕らはいい加減学んでもいいはずだ。

 

「いや、そもそもBRUTUSはエンターテイメント雑誌。そんなにムキにならなくても・・」

僕がなんでこんなにムキになっているのか?

その次のページに僕が以前関わっていたD&FARMがでているからだ。

僕はほんの数ヶ月前まで、2ヶ月に1度ほどこのFARMに行き、農作業をした。管理をしているナガオカさんのご両親とナガオカさんが、どれほど苦労してここまで整備したかを曲がりなりにも知っている。身銭を切って、痛い思いをして彼らはその地で今日も踏ん張っている。要は人ごとではないのだ。

いつでも止められる環境で、なんのリスクも犯さず、自分だけは安全な場所から文句をいうのがどうしても我慢出来ない。そして「有機/無農薬農法」を絶対的な善として従来の「慣行農法」を悪とする分かりやすい図式にも同じことが言える。トップクリエーターなら、プロとして、違うやり方で、農業を面白くすることが絶対に出来るはずだ。

 

以下の文章は「久松農園」久松達央さんのとある雑誌のインタビューの抜粋である。

「僕も(農業を)始める前は、農薬は危険なものと思っていましたが、今の農薬は使い方を間違えなければ、決して危険なものではないんです。僕が有機農法でやろうと思ったのは、安心安全だからというよりむしろ、その方が美味しいと実感したから。農業に新規参入するなら、差別化できる野菜をつくる必要がある。でも、有機でやるっていうと『お前儲からないぞ』って言うんです。本当にそうなのかな?と、メラメラしてしまったわけです」

(中略)

その技術力を上げるため、久松さんが指導を仰ぐのは有機農家のスペシャリストではなく、慣行農家(従来の農薬を使用する農家)のスペシャリストだ。

「彼らにこそ、学ぶべき点が多いです。日本の食料自給率は自分達が支えているという気概のある人たちはプロ意識が高い。また数をこなしているから技術がある。有機農法が絶対正しい、ではなく、今後自分が慣行農業をやるかもしれないという可能性を1%残して切磋琢磨していけば、もっといい野菜がたくさんできると思うんです」(料理通信2008年7月号より抜粋)

大切なことはなにか?

最低限対象に敬意を払い続けることだと思う。